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これまでの実践と研究の反省をくぐらねば/梅原 利夫(民研運営委員、和光大学副学長)

あの3.11ショックのトラウマを私も引きずっている、とはっきりと自覚したのは4月下旬になってからだった。

死ななくてもいい人々が流された、押しつぶされた、避難しそこなった。避難所で亡くなった、絶望のなか自死に追い込まれた。生きている人も、希望を失った・・・・。

これらの大被害に対して、救済できなかったことへの、行政、福祉、医療、教育の責任は消えないと自戒する日々が続く。無力と言うより、やろうとした努力が本当に必要なレベルからはほど遠いものだった。なぜなのか? 責任を取り続けるとは、何をどうすることなのか? 模索する日々が続いた。

あらゆる感性と理性を使って現地で見聞き・考え・想像し・思索してくる旅に、ようやく出かける決意が固められるようになった。5月下旬から6月初めに、仙台市-東松島市-石巻市-女川町-南三陸町-大崎市を訪ねた。体育館が避難所になったまま授業が再開されている小学校では、その時全校の子どもと教職員がランチルームに集い楽しげな昼食のさい中だった。「この中には、両親を亡くした子どもが居るのです」という先生の一言に、私は胸が張り裂けるような感情の高揚を覚えた。

7月初旬には、再び仙台市に入ってからフクシマに回り、田村市-葛尾村-浪江町-飯舘村-南相馬市-二本松市-郡山市を訪ねた。「までいの村」づくりに励んできた飯舘村は、ついに役場機能を福島市に移転させ、住民は周辺の5市4町1村に分散避難を強いられていた。閉鎖された役場や村営の本屋・図書館前には、あの放射線量計が立っており、その時3.74マイクロシーベルトを示していた。驚いたのは、その真向かいの広場では今でも高齢者養護ホームが運営され、収容されている100人の高齢者を、避難先の福島から車で通って来ている職員の方がたが終日介護されているという事実であった。高濃度放射線量の中でも、生き続けるという生活が営まれていた。

この巨大複合災害が進行する時代に生活するにつけ、いろいろな後悔や反省事項が沸いてくるのを押さえることができない。私たち、いや私にとって、3.11以前までの教育実践と教育研究が拠って立つ基盤はこれでよかったのか、というおもいである。もちろん、全否定や総懺悔ではない。しかし自らの反省なくしては、3.11以後をくぐり抜けられないという感情が渦巻いている。それは以下の諸点についてだ。
第1に、私たちが生きているこの日本列島は、プレートテクトニクスの視点から見れば、地震列島と津波列島と火山列島で成り立っている。いつ起きてもおかしくない自然災害の危険と隣り合わせで、私たちの生活が営まれているのだ。その科学的な認識に裏付けられた人生観がリアルに形成されていたのだろうか。切り取られた温泉気分のみが先行してはいなかったか。列島をずたずたに走っている活断層に目を背けてはいなかったか。
しかも、絶望的にここまで進行してきた原発列島化がそれらに覆い重なっている。原発の存在は「知っていた」のに、巨大複合災害のもっとも重大な引き金になっていたという「認識に欠けていた」。あれよという間に54基が稼働していたという事実、核融合した後のゴミ処理の技術は未開発のまま本格稼働しているという狂気。絶対安全、難攻不落の五重の壁が、かくも無残に崩壊してしまっているという現実。

子どもや青年を問題にする前に、私たち大人や研究者自身の包括的で現実的な認識や教養が欠けていたという自己批判は免れまい。

第2に、教育実践で「生きる術、生きる智恵、生きる意味」を本当に育ててきたのか、という反省が起きている。これまでの教育改革の旗印とされた「生きる力」とは、いったい何だったのかが問われている。私は「生きる力」の本質にどこまで迫っていたのだろうか。これだけの死を招いてしまったという事実は消えない。言葉だけの「生きる力」の強調は、おびただしい死者の前ではかえってよそよそしい。

第3に、各地域-各県-国家レベルでの防災教育のプランおよびその実践は、確かなものであったのかという反省である。これまでの住民教育および学校教育において防災教育は全体の中の一つにすぎず、まっとうな位置にすわっていなかったのではないか。今回の事態を踏まえて様々な指摘がなされるであろうが、もっともダメなのは「これまでの教育についての根本的な反省は不問にしたまま、単に不十分だったとして、ただ大災害対策教育を付け足すだけの対応」である。これでは改革、前進にはならない。

第4に、とりわけ教育の世界全体を、いっせいテストによるランキング上昇競争に巻き込んできたことにより、「自己責任論」や「自己肯定感喪失」の人格を生み出してきた21世紀の教育政策は、抜本的に改革されなければならない。被害にあった被災者や被災児童生徒は、「運が悪かった」のか、被災をバネに「頑張ろう日本」で乗り越えさせようとするのか。復旧・復興の先に、教育がめざそうとする人間像や人間観の問い直しが迫られている。

学校を訪問すると、どこでも責任者の口からは「一日も早い学校の正常化」が言われる。そうだろう、今は確かに非常時である。では、今を克服した後にくる「正常な学校や教育」とはいったいどのような姿なのだろうか。ある被災県では、遅れてはいるが「予定していた学力テスト」は早晩実施するという。それでいいのだろうか。

被災地での子ども把握の視点も気になる。この数ヶ月のマスメディアの報道は、以下のようにパターン化していないかとの疑問を抱いている。それはメディアのみにとどまらない。教育関係者は、もっとリアルに把握すべきである。

①被災した「かわいそう」な子ども、
②でも「けなげ」に生きる子どもたち、
③「復旧に励む」たくましい中高生、
④「子どもたちの笑い声」、大人を励ます。

私たちは「子どもを捉える」という課題を、教育実践と研究の根底に位置づけてきた。その作業をここでも発揮する必要があると思う。

「これまで私たちが認識と行動の基軸に据えてきたものの意義を再確認し、それらをより強固で豊かなものにしていく最大限の努力を傾注していくことが必要なのではないか」というスタンスも理解できないわけではない。しかし、それを成し遂げていくためにも「これまでの実践と研究の反省をくぐらねば」と強く思うのである。私の、私たちの、肚のすえ方が厳しく問われているのではあるまいか。自問する暑い日々が続いている。

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